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たびたびブログに書いていましたが、娘の父親が事故で急逝いたしました。娘は父親っ子でしたので、ショックから立ち直るのに長い時間がかかりました。

 

まあ、相続でゴタゴタしているの中で傷つくことも多く、心の休まる日がない中で父親の経営していた店を継ぐことになりました。

 

そんな中私が気にしていたのが、ブログで発達障害のことを書いていたので、今いる周りの人がこのブログを読み娘を傷つけるのではないかと思い書けなくなっていました。(SNSを探すプロですと言われ入ってきたからです)

 

しかし、娘は強い女性に成長していました。自分の発達の凸凹をきちんと捉え強みに変えていったのです。もう無敵です!

 

1人の人間として娘を尊敬した瞬間でしたので、記録に残しておきたいと思います。

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発達障害特徴を強みにする発想と娘の生きかた

発達障害といっても人それぞれ凸凹加減が違います。娘の場合は、特に聴覚過敏と嗅覚、味覚が過敏です。赤ちゃんの頃からこれらの感覚過敏があるので、生活しづらい点があり困難に感じることが日常茶飯事でした。

 

こんなに生きづらいので、将来この子は生きていけるのかと不安が取れることはありませんでした。心配し過ぎてしまいますよね?発達障害のお子さんを育てている親の共通の悩みではないでしょうか。

 

他界した父親が経営していた店を引き継ぐことになった娘が、店のブログにご挨拶文を投稿しました。その文章を読んでハッとさせられることが書いてあり、驚きと同時に気づきをあたえてくれました。挨拶の後に、自分の感覚過敏を強みに捉え正直に書いてありました。以下が娘が書いたブログの1部です。

 

 

娘は自分の凸凹を強みに発想転換したのです。他の人と違うと悩んでいるうちは個性になりませんよね。自分の弱点を長所として捉えたことで生きづらさから自分の個性に変えたのです。

 

《⇊2度目の大学入試あたりから自分の特性を正直に伝え始めていました。》

発達障害【大学選び】受け入れ大学20歳で2度目の大学生人生諦めないはこちらからです。

 

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発達障害を気にし過ぎていたのは母親のわたし

娘のこの文章を読むまで子育て最中にイジメや体調をこわすことが多かったので、どうしても母親であるわたしは発達障害を頭の中で気にし過ぎて生きていたのだと思いました。思い込みの癖がついていたのだと思います。それと同時に他人の目を気にしていたのですね。

 

今回は、正々堂々としている娘を尊敬した瞬間でした。このような思考になるまでには、周りの方たちに恵まれていた環境で成長することができたからだと思います。壁にぶつかるたびに娘の背中を押してくださる友達や先生に囲まれていました。21年間かかりましたが、前向きな思考を持つ強い女性になったようです。

 

21歳にして父親が他界してから大人たちの汚さを存分に見てきて疲れ切り体調もこわしましたが、この大変な状況も娘のこれからの人生で、人を見抜く力をつけ自分がどうあるべきかということを身に付けたと思います。今になると父親から愛娘への最後の贈り物だったように感じます。

 

娘の父親が常にわたしにお願いしてきたことがあります。

 

「親はいつまでも生きていない。娘には、1人でも生きていける力をつけて欲しい。それを教えてあげてくれ。」ということでした。

 

娘が父親の店を継いだのは、生前から聞かされていた故人の希望があるからです。自分が他界したら店と会社をどうして欲しいか聞かされていました。その父親の意思を成し遂げるために娘は行動しています。父親の作り上げた人生を自分の手できれいに幕を閉じようとしているのです。

 

 

「わたしにはお金ではなく大切な人たちが周りにいる。幸せなときには見えないものが見えた。このことがよく分かった7ヵ月だった。」そう話してくれました。

 

 

いつの間にか母親より娘の方が大人になっていたのですね。発達障害の凸凹を強みに捉える生きかたをする娘に強さを教えてもらいました。

 

つらい時はあまり我慢しなくて良いよ。涙を流しても良いのだよ。そのことも教えてあげたいです。

 

最後までお付き合くださりありがとうございました^^

 


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