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娘(お嬢さん)の父親が他界して1か月が経ちました。
父親が他界しただけでも悲しみが深いのですが、我が家は複雑な環境にあり、他界した後も処理をする事でいっぱいいっぱなのです。
その上、父親は事業をしていましたので、周りからの噂話が多く耳に入ってしまいます。
成人しているものの、まだ21歳のお嬢さんには受け入れることが出来ない事だらけで、とてもストレスを抱えています。
お嬢さんは、父親の最後があまり幸せではなかったのではないだろうかと感じているのです。
今回は、アスペルガーという事だけでなく、娘に贈る内容で書きたいと思います。
最愛の親が亡くなった残されたアスペルガーの娘の心理はこちらからです★
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父親が大切に持っていた娘からの誕生日プレゼント
父親の誕生日に、娘が作った誕生日のカードです。(娘が小学3年生頃の物だと記憶しています。)
娘の写真と一緒に出てきました。大切にしていたのだと思います。
娘は、パパは猫が好きだったので、猫の絵を描いたのです。
「お金をかせいでね!」という最後の言葉で笑ってしまいますよね。
それは、元夫の合言葉が自宅を出る時に「お金を稼いでくるよ~!」と言って、出かけるのが日課でした。
娘は、「パパ、今日も頑張ってね!」と伝えていたのです。
娘の一言が、彼の力となり頑張れていたのは間違いありません。
元夫の最後の言葉も、「〇〇が、大学を卒業するまで、頑張るからね!大丈夫だよ。」と私に言って、家を出ました。
ここ1年くらい前から、かなり疲れてるという言葉を聞いていたので、心配していましたが、娘のために頑張ると残していました。
息子のことは?と思われるかと思いますが、無事に大学を卒業する予定で、入社先も決まっているので安心していたのだと思います。
父親の娘への想い
娘が誕生した瞬間から(分娩室で)、目じりが下がりっぱなしでした。
誕生した瞬間に、医者に抱き着いて「ありがとう!ありがとう!」と繰り返し言っていました。(私にありがとうでしょ?苦笑)
私は、分娩台の上でその様子を見て、「あ~あ!親バカが、もう始まったのね。」と感じ、にやけてしまいました。
とっても幸せそうに娘を見つめていました。
生まれたてで、おサルさんのように真っ赤な顔をしている娘を見て「かわいい」と、大きな声で言っていました。
我が家だけではなく、娘を持つ世間の父親は、同じ気持ちではないでしょうか?
そうですよね?^^
娘がまだ1歳になる前から、「男は近寄らせない。結婚なんて許さないぞ。相手に会ったら嫌味を言って、諦めさせるからな。」と、呆れるような言葉を、貧乏揺すりをしながらしばしば言っていました。1人で妄想し、時には涙ぐんでいることもありました^^;
私はそんな彼の姿を見て、バカバカしい~としか思えませんでしたが、幸せな気持ちにもなっていました。
娘が発育不全で、大きな病院に通い始めたのが生後1か月の時でした。
病院で検査が始まると、小さな体から血液を採ることが難しく、娘を逆さにして首から血液を採ることになると医者から聞かされた時は、大変な行動を起こしてくれました。
なんと、気が付くと父親が娘を抱き、病院から去ったのです。
私は呆然としましたが、次回の検査予約をし、帰宅しました。
「今回は、着いてこないでね。検査が出来なくなるからね。」と、父親に伝えましたが着いてきました。
検査室には私が娘を抱き入り、血液を無事に採ることができましたが、病院のロビーに出ると父親と息子の姿が見当たりません。
病院内を探していると、男子トイレのドアが少しだけ開いていて、隙間から息子の姿が見え、その奥には父親の足も見えました。
私は少し疲れていたので「こんなところに隠れていたの?早く出てきてちょうだい!」と言いました。
すると、父親がハンカチで目を抑え泣いているではありませんか、、、。
その姿を見て、呆然としましたよ(笑)
「泣くのはパパではなく、お嬢さんよ!しっかりしてね。」と、イライラしながら言いました。
離れ離れに生活をし始めてからも、子供たちが体調を壊すと仕事を抜けて駆けつけてくれたり、震災の時に避難をしていた時は、避難場所を探して駆けつけてくれました。
娘が学校でイジメにあった時には、校長室に行き怒りまくり、私としてはその勢いが凄まじかったので、冷静にさせることが大変でもありました。
娘のことになると、冷静ではいられなくなってしまうのです。(少し迷惑^^)
暴露はこのくらいにしておきます。キリがないので、、、。
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母より娘へ
あなたがパパへ贈った誕生日のプレゼントは、カードだけでなく植木鉢も事務所の部屋に大切に持っていてくれていましたよ。
植木鉢に絵を描いて贈ったプレゼントです。覚えているよね?
どんなに大切な存在だったか分かると思います。いつも側にいたのです。
パパの最後が幸せでなかったのではないかという事より、あなた達子供がいて幸せだったと思います。
伯母や従兄弟、会社の人達も見ていてくれて、全てを知っています。パパが亡くなってから、お世話になった方々から連絡をいただきました。
皆さんが同じことを、おっしゃっていました。
「仕事の話より、子供たちの話を必ず嬉しそうに話していました。社長にもこんな一面があるのだなと思いながら、いつもお子さんの話を伺っていました。」と、思いで話をしてくださいましたよ。
パパの生き甲斐は、仕事だけでなく子供たちの存在だったのですよ。
「娘に適う者はいなかった!」と、母である私が知っています。
あなたは、パパの宝だったのです。
ずっと、側にいて見守ってくれているよ。
さあ、パパが悲しむので前を向いて生きて行こう!
最後までお付き合いいただきありがとうございました^^
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