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発達障害の娘は、中学を卒業する頃までは、おとなしく何処にいるのか分からないお嬢さん(娘)でした。
高校では普通科ではなく、急に英語を話せるようになりたいと言い出し国際科へ進学しました。おとなしかった娘は、高校へ入り英語に触れるようになると、留学をしたいと言い出しオーストラリアになる高校へ留学をしました。発達障害があるので心配でしたが、行かせて良かったです^^
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中学生までの発達障害の娘
そういえば、小学生の頃からお世話になっていた県の教育センターのカウンセリングの先生に、中学1年生頃に言われた事があります。
お嬢さん(娘)は、聴覚過敏がある(絶対音感)ので「○○ちゃんみたいな耳を持つ子は、語学に興味を持つと外国語を話せるようになりますよ。試験が出来るとかではなく、数カ国の言葉を話せるようになる人になるかもしれません。語学に興味をもったら、是非やらせてみてあげてください。」と言われたことがありました。
お嬢さんは楽譜を読む事ができませんが、音を拾ってハープを演奏していたこともあるからだと思います。
言われた当時は、発達障害の娘は、学校の英語の授業を嫌がっていたので、そんなことは起きないだろうと思っていました。
アルファベットを書くことすら嫌がっていたのですから。
しかし、お嬢さんの中で何がきっかけか分かりませんが、高校では国際科に進学したいと言い張ったのです。
発達障害の娘には英会話の授業が良かった
高校の午後の授業は、毎日英会話の授業でした。
外国人の先生と、お菓子を食べたりゲームをしながら日本語を使わず、英語のみの授業を受けていました。
英語ではYES,NOをはっきり伝えないとなりませんが、その意思表示が発達障害(アスペルガー)のお嬢さんには理解しやすい環境だったようです。
物事をはっきり言い過ぎてトラブルを起こしてしまうことが多かったのに、物事をはっきり伝えないと生きていけない世界なのですから、お嬢さんの精神状態がとても安定していました。
「先生から褒められたよ。」と嬉しそうな顔をする時間が増えていきました。(物事をはっきり伝えるので褒められていたそうです。)
発達障害のオーストラリア高校留学
母としては、今まで発達障害の娘を育てる事は手がかかっていたので、1人で海外留学ができるのかと心配でなりませんでした。
在学していた高校では、オーストラリア校がありオーストラリアで過ごしたいと欲を出し始め、もう言う事を聞かないので高校2年の秋から、オーストラリア校へ3ヶ月の留学を決めました。
しかし、3ヶ月過ぎようとしているときに、お嬢さんは勝手に留学期間を延長してしまっていました。
手続きを終えてから、私に「まだ帰りたくないから、延期したよ。先生も良いって言ってた。」と連絡が入りました。
「決める前に親に相談でしょ?お金もかかるのだよ。」と、お金という言葉は使いたくなかったが、つい出てしまいました(-_-;)
その時のお嬢さんの声がとても明るかったので、お金は取っておいても仕方がない、勉強をすることが体に入る唯一の財産になると考え、結局許可しました。
母はつらいよ!(笑)
で、高校3年の夏までオーストラリアの高校で勉強をしていました。
それも、日本の高校の担任が「いい加減に日本に帰国しないと、大学受験に間に合わないから帰って来い!」の一発で帰国した次第でございます。
オーストラリア留学先のホームステイの環境がとても良かったので、お嬢さんは天国のような暮らしをしていました。
ホストファミリーが、ママとお嬢さんの2人暮らしだったのです。ママは看護師をしていた事もあり、発達障害をよく理解してくれていました。聴覚過敏があるので、2人の生活は静かに過ごせたのです。
ホームステイ先のママから「○○は1人の時間も必要だし、掃除は苦手なので、毎週日曜日に一緒に家中の掃除をすることにしています。」と、お手紙を下さいました。
ベッドメイキングから、全て習っていたようです。(今は何もしませんが)
ママが夜勤のときは、夕飯を作り起きしてくださり、お嬢さんは温めて1人で食事をして留守番をしていました。
ママが疲れないように、食器を洗ったり料理の手伝いもしていたようです。(今は何もしませんが)
私も1度遊びに行かせていただきましたが、ママと英語で会話をしているお嬢さんを見て、「これ家の子?英語で話している。」と驚き、放心状態になりました(笑)
少し大人になったようにも感じた瞬間でした。
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発達障害の娘を思いきって高校で留学させてみた感想
発達障害(アスペルガー)でも、環境さえ整えば海外留学でも(海外の方が良いのかも)、生活できるのですよね。
アスペルガーとADHDのお嬢さんにとっては、物事をはっきり伝える外国人の方が理解しやすく合っているのかもしれません。
高校の校舎の中では、日本語を使ったら日本へ強制帰国させるという規則がありました。なので、一言も日本語を使う事はできません。
苦しいのではないかなと思いましたが、2週間も我慢すると日本語を使えないことに慣れてきたそうです。知っている英単語とジェスチャーでなんとか乗り切ることが出来ました。それも楽しかった思い出になっています。
オーストラリアの留学生活の中で知り合った友人達は、それぞれの大学に進学しましたが、今でも集まり飲み会を開き、楽しく交流をしています。
思い切って高校留学に行かせて良かったと今では思います。
次回は、ニュージーランドの大学生活に続きます、、、。
【発達障害】留学娘はニュージーランドへ入学したが大学編はこちらからです。
最後までお付き合い下さり有り難うございました。
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