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大学進学をどうしようかと悩む前に、お嬢さん(娘)はオーストラリアへの留学で快適な日々を送っていたので、海外の大学へ行きもっと語学を学びたいと、本人の中で決めていました。
そこで大学は、高校と提携されているニュージーランドの大学に入学することに決めました。
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発達障害の娘がニュージーランドの大学を選んだ理由
発達障害のお嬢さん(娘)には、外国人とのコミュニケーションや表現力(明るい顔の表情)などが、とても理解しやすく合っているそうです。
まあ、日本人の遠まわしに表現をすることが苦手と言う事もあります。理解しづらいですよね。
そして、もっと深く英語の勉強をし語学を身に付けたいと理由がありました。
発達障害の娘のニュージーランドの大学生活はどうだったの?
高校を卒業してすぐに、ニュージーランドの田舎にある大学へ留学し、4月入学をしました。
高校のときの留学でもそうだったのですが、現地に到着して1週間高熱を出し寝込んでおりました。アスペルガーのお嬢さん(娘)独特の、知恵熱みたいなものだと今では思います。
無事に入学式には参加し、1年過ぎようとしていたときです。大学の敷地内にある寮生活をしていたお嬢さんから電話がかかってきました。
「ママ、この大学に騙された。騙された感、はんぱない!日本人が多くて日本語ばかり聞こえてしまう。それに外国人の学生は、日本語を専攻していて、日本語を話したがる。高校のときは、日本語を使ってはいけなかったのに、ここの大学に騙された。英語の勉強ができない。高校のときの留学生活より、私の英語のレベルが落ちた感じがする。」と電話口で、しくしく泣き始めました。
「それに、外国人は夜中にお酒を飲んで大騒ぎする。女子寮に男子を連れ込むし、音が煩くて眠れない。校則を守らない外人ばかりなんだよ。」
睡眠も取れなくなり、食事も取れなくなった状態でしたので、新学期まで一時帰国をすることになりました。
私は、この時点で2度と大学に戻さないつもりでいました。
発達障害の娘が環境になじめなかった理由は、寮生活での騒音と日本人が多い大学のため、英語は授業中だけで日本語の生活になってしまっているので、語学の勉強が思うように出来ない。日本の大学がニュージーランドにあるだけ状態と感じてしまったことです。
ここまで、落ち込んで帰国したのですから、日本の大学か他の国の大学を受験しなおせば良いと伝えておきました。
しかし、お嬢さんは高校の代表でニュージーランドに行ったのだから、意地があると言い出しました。(代表と言うほどではないのですが、本人は真面目に言葉通り受け止めていました。)
単位は取れていたので、新学期にニュージーランドに帰ると言い始めたのです。
もうやめておくれよ~!と、私と息子は言いましたが、頑固なので渡航してしました。
裏切られた感があると、発達障害の人は二次障害に繋がりますので、アスペルガーである娘の体が心配だったのです。
しかし、再びニュージーランドの大学へ戻り、2年生の6月頃からお嬢さんにLINEを入れても、返信が来なくなりました。
7月に入ってもLINEの通話も出てくれなく、既読もされません。返信が来なくなってから1ヶ月以上経ちました。
とても嫌な予感がしたので、大学に国際電話をかけ、寮に行って様子を見に行って欲しいとお願いをしました。(大学の敷地内にある寮)
遠く離れていても、母と子は繋がっていたのです。
大学の職員が寮の部屋を見に行ったら、お嬢さんは意識をなくして床に倒れていました。救急車を呼び緊急入院となりました。
栄養失調と脱水状態、腎盂炎から菌が肺に入り肺炎を起こしていました。数時間遅かったらどうなっていたのかと考えるだけでも恐ろしい現実でした。命が無かったと思います。
食事を1ヶ月くらいぜず、授業も1ヶ月以上出ていない事が後から報告がありました。
大学の敷地内にある寮なので、安心ですと言われたのにこの結果!です。
高熱が下がって、菌が体の外に出ないと飛行機に乗れないと言う事で、入院してから1ヵ月後に再び帰国しました。
迎えに行ったときのお嬢さんは、拒食症のようにやせ細ってしまっていました(´;ω;`)ウゥゥ
「ママごめんなさい。」とか細い声を漏らしながら泣きじゃくっていました。
発達障害(アスペルガー)の特徴でもありますが、自分のことを伝えるのが苦手です。お嬢さんの場合は、明るいニュースはよく話してくれますが、困っている事はいまだに、伝えることが出来ません。
もしも、定型発達だったらこの様な事が起きなかったのか?と考えてしまう事もあります。
近所の方のお嬢さんは、ニューヨークへ留学をしていましたが、摂食障害で亡くなってしまっていました。
どうして辛い事を親に伝えられないのか?
その1つに、留学費用は莫大だお金を掛けて貰っているのに、自分で行きたいと言ったのに、恥ずかしくて帰りたいなんて親に言えないと思い込むみたいです。
アスペルガーの娘は、物事を人一倍に真面目な捉え方をしますので、このような事態になるまで頑張ってしまうのかもしれません。
「でもね、死んだら終わりなんだよ。命があって良かったよ。何度でも人生やりなおせるのだからね。辛い思いをしただけ、強くなれると思う。もっとお嬢さんに合う場所が待っているという事だよ。」と、お嬢さんの目を見ながら伝えました。
がんばった!それで良いよ!
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発達障害の娘を留学先のニュージーランドの大学に行かせるということ
高校では、オーストラリアでの生活に満足していて、日本にいるときより生き生きとしていました。語学が見についていくことを実感したり、親元から離れホームステイ先の家族とも仲良く過ごすことが出来ていました。
身の回りの事も、1人で出来るようになり、外国に住んでいても休日には、電車に乗り友達と街に出て遊ぶことも多かった様子でした。
本人も、ニュージーランドの大学生活をオーストラリアの留学と、同じような環境を想像していたのだと思います。
発達障害の娘が海外に留学したいという気持ちだけでもすばらしいとおもいますが、定型発達者とは違い「生きづらさ」を持っています。
親の私も、娘の成長とともに忘れかけている発達障害の独特の「こだわり」や「感覚過敏」などの生きづらさがあることを思い知らされました。
もしも定型発達の人ならば、日本語が多いことや夜中の音が気になるという事を、発達障害の娘より重く感じる事がなかったかもしれませんよね?苦痛に感じる事を、大学側に伝える事ができていれば、このような結果にはならなかっらかもしれません。
時間が経過し、振り返ると貴重な体験ができたと思えるようになりました。
日本に帰国してから、20歳で2度目の大学生になり、精一杯エンジョイし頑張っている姿を見る事ができているからです。
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