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嫌なことはトラウマになって記憶しているアスペルガー女子、ADHDです。

 

私の父は、自由人でワガママな人でした。以前も少し書いたことがありますが、父は記録映画を制作していたので、地方での撮影が多かったため幼いころは殆ど父の顔を見たことがありませんでした。

 

10歳離れた弟が生まれるまでは、母と妹の女の3人暮らしでした。

 

私が幼稚園児のときに、コップの上に乗り足の裏を切ってしまい、大怪我を負ったため父が珍しく(たぶん1年ぶりくらい)帰宅しました。男の人の声を聞きなれなかった私は、驚いたあまりに大きな悲鳴を上げて泣き叫び、母の後ろに回り隠れた記憶があります。

 

久しぶりに帰宅した父は、そんな私の姿を見て大きな声で怒鳴ったのです。(ショックだったのでしょう)

 

「誰に向かって泣いているんだ!泣くならもう帰ってこないぞ!」

 

私は幼い心の中で、母が困るとかわいそうなので声を張り上げて泣くことを我慢しました。

 

すごく怖いオジサン!という記憶です。

 

大きな声がこのころから苦手になってしまいました。

 

 

 

あと父が必ず帰宅する日は、大晦日の夜遅くでした。毎年恒例で、父の実家に新年の挨拶に行くためです。

 

その時は、家族全員一緒に行かなくてはなりませんでした。私は、大勢集まる父の実家に行くことが最も苦手で、正月は苦痛でたまりませんでした。東京の下町の人たちなので、毒舌吐きまくりの上、大声なのです。笑い声まで大きく頭の中がかき乱され、聞いているだけで涙が出そうになるのを我慢していました。(人情は厚く良い人たちですが)

 

今思えば、聴覚過敏や発達障害のせいで苦痛になっていたのだと思います。

 

そんな中、1年で1番最悪な正月に母が風邪をひいてしまい、父親の実家に行けない年がありました。母が行けないのに父親と実家に行くことは考えられません。もう恐怖でたまらず、私は寝たふりをしていたところに父が来て、「〇子だけは、一緒に行くぞ!」と言うではありませんか。私は、「行かない。行きたくない。」と言うと、また父親は「行かないならもう帰ってこないぞ!」と、毎回同じ言葉で脅迫するのです。

 

母からお願いだから行ってと言われた私は、悲しくてたまらなくなりました。帰ってきて欲しくない父のために、なぜ行かなくてはならないのか、妹でも良いじゃないかと思いました。

 

結局、母のために行くことになりましたが、あのザワザワした空間に入ることが恐怖で、朝から晩まで目を閉じ寝たふりをして過ごしました。父親は、片道2時間の距離を寝た振りをしてる私を抱いて、一度も下ろすことはありませんでした。寝たふりをしている私も大変でした。朝から夜遅くまで寝ているので、空腹だった記憶があります。父とは何か会話をすれば良いと思われそうですが、あまり会ったこともない父親とは、話すことが見つからなかったのです。私の中ではただの知らないオジサンだったのです。

 

 

 

父親はハンサムだと評判で、話し方もおっとりしていたので相当モテていたようです。はい、はっきり言って女癖が悪い人でした。

 

私は幼いころから、夜中に1人でタオルを顔に当てて泣いている母の後姿を覗き見していました。昼間は明るい母でしたので余計にかわいそうに感じ、覗き見をしてしまうと私まで涙を流していました。感受性が強かった私は、母を悲しませる父親を恨むようになってしまいました。

 

大人になってから、妹にこの事を含め話してみたことがありますが、妹は何も気づいていなかったよです。なので、父親が他界するまで父親と妹は普通に関わり合っていました。長女と次女の差なのかもしれませんが、何も気づかないで育った妹は、今でも何事も気にしない強い女性になっています。

 

トラウマになっていることばかり書いてしまいましたが、父親は冷たい目でいつも見ていた私のことを誰よりも愛してくれていたことも記憶しています。

 

 

 

そんな父親を大人になってからおかしいなと感じた事があります。

 

すぐ感情的になり、伝えたいことを伝えられずに泣き出すことがありました。そんな姿を見た私は、自由に好き勝手に言いたいことを言って生きてきたのに、どうしようもない人だなと思いました。

 

物事を伝えられないことに関しては、発達障害に関わるようになってから父親も、もしかしたら発達障害を持っていたのかなと考えるようになりました。

 

死を迎えるまで勝手な人でしたので、父親みたいな自由人でワガママな女癖の悪い男性は毛嫌いしていたのですが、親の背中を見て育つとよく言われるように、私は女癖の悪い人と関わることが多い人生になってしまいました。父親の行いは娘に来るとも言われていますが、その通りです。

 

その上、私まで自由人になってしまいました。

 

 

どこかで父親のことが忘れられない自分がいるのかもしれません。

 

発達障害やアスペルガー、ADHDとは関係がないのかもしれませんが、育った環境がトラウマになり潜在意識の中に蓄積され、1人の大人を作ってしまうのだなと思います。

 

トラウマさえ強く感じることがなければ、生きづらさは軽減されたと思います。

 

 

 

トラウマがどうにか取れると良いね!

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