スポンサーリンク

発達障害の二次障害の過去を書こうと思うだけで、辛くなるのでなかなか書けないでいました。ある日突然、味覚障害になり食べ物の味がまったくしなくなったのです。

 

私の人生の中で1番辛い時期でした。思い出したくもありませんが、二次障害で悩んでいるアスペルガーやADHDの方が多くいらっしゃる事が分かったので、二次障害で鬱病になっても完治するんだということを伝えたいので書くことにしました。

 

スポンサーリンク

発達障害(ADHD)の二次障害原因

アスペルガーの娘の育児はとても疲労があり、大変な毎日を送っていました。誕生してからミルクを飲む事を知らなかったので、長い時間眠る事をしてくれませんでした。結果、私は寝不足続きの生活を送っていました。

 

元夫と長男もいたので、早朝から家事にも追われていました。かなりの疲労の上、元夫は会社経営をしていたので365日のうち休みは、元旦の1日だけでした。元旦も半日自宅にいる程度で、仕事が気になるらしく会社へ出ていました。日本での仕事だけでなく、年の1/3は海外に行っていました。今のように、LINEなどもない頃でしたので連絡をとることも困難な状態でした。

 

まあ、これ以上元夫のことを書いても仕方がないのでやめますが、育児はいっさいしなかったということです。

 

もう1つは、育児を無視しているのに、元夫は女性問題が頻繁にありました。私はたび重なる夫の浮気には気がついていましたが、私の口からその事に関して夫に言えなかったのです。こんな事を言うと、暴力があるので怖かったので見ないふりをしていたのです。

 

親友にも話をしませんでした。なぜ話をしなかったのか理由があります。

 

我が家は、会社経営とある専門店の店を持っているので「家庭のことは誰にも話してはいけない。」と元夫から言われていたのです。評判が悪くなる事を恐れていたのですね。

 

発達障害(ADHD)の私は、真面目にその事を守っていたのです。言葉通りに受け止めていたのです。そして、強いストレスから二次障害の中期のうつ病になってしまったのです。

 

今思えば、友達に話をしていれば二次障害を起こさなかったのかもしれないと思いますが、、、。

 

新生児母乳とミルクをうまく飲めない原因は発達障害だったはこちらからです。

 

発達障害(ADHD)の二次障害症状

 

ある日突然、何を食べても味覚を感じる事がなくなりました。ステーキを焼いて食べると、味のないゴムを噛んで食べているようなのです。

 

味噌汁を飲んでも、ただのお湯です。これはおかしいと思い、内科、耳鼻科、歯科、脳外科と病院を転々としました。しかし、病名が付きません。

 

味覚がないことを友達に相談をしたら、心療内科へ行ってみてはどうかと提案してくれました。味覚がないのになぜ心療内科なのか納得ができず、自分からは行くことをしませんでした。

 

ぐずぐずしている私を見ていられなかった友達が、車で突然やって来て「心療内科の予約を取っているから連れて行く。」と無理やり車に乗せられ、連れて行かれました。病院の受付までしてくれました。

 

あまり記憶がないのですが、問診に時間がかかり苦痛でしんどかったです。

 

問診の結果は「中期のうつ病」と出ました。疲れているのだから、しばらく入院をしたほうが良いと勧められましたが、元夫は子供たちの面倒を見ることができないので、入院する事もできず薬を服用し自宅にいることにしました。

 

自宅にいれば家事が減るわけでもなく、中期のうつ病だと分かっていても、元夫は病気を認めることは一切しませんでした。相変わらず仕事上の取引先の方を自宅に呼ぶので、接待に追われていました。

 

薬を飲むとやたらと体が重くなり、眠気に襲われるが寝る時間がなかったので、無理に起きている状態でした。薬は恐ろしいと思いました。治るどころか、体が動けなくなっていくのですから。

 

ある日、夕食の支度をしていた時のことです。ジャガイモや人参の皮を剥く時に、ピーラーを使っても皮を剥く事が出来なくなったのです。立った状態で、1つの物を見ていることが出来なくなりました。

 

この時初めて、堪えていた涙があふれてきました。

 

「疲れた。」と言葉が出てきました。子供たちがいるので、トイレに入り大泣きをした記憶があります。

 

 

元夫にうつ病と言っても「へー。」の1言だったので、助けて欲しいと言えなかったのです。仕事がハードな事も理解していたので、どうにもなりませんでした。

 

体調が悪化していくと、野菜の皮を剥いたり食品を切ったりする事は、台所で横になりながらしていました。なかなか剥けないので料理を作る事に時間がかかるようになっていきました。子供たちは、お腹すいたと言うし「もう少し待っていてね。」ばかり言っている自分も嫌になるばかりでした。

 

掃除機をかける時に、1点を見るので掃除機をかけながら倒れてしまうのです。倒れてから数十分意識を無くす時もありました。

 

うつ症状が重くなり家事ができなくなった

 

ついに家事が思うように出来なくなってきたので、家事代行に来てもらう事にしました。こんなに動けなくなる前に、1人で頑張らず家事代行をお願いしておけば良かったと後悔しました。

 

週に2回代行サービスに来てもらい、料理の下ごしらえと掃除をお願いしました。外に出る事も困難な日には、買い物もお願いしました。これだけでも随分違います。ヘルパーさんにお願いをするようになってから、気持ちも楽になり家事をお願いしている時間だけは、1人でゆっくり眠る事も出来るようになって来ました。

 

体を壊した後からお願いするのではなく、産後の育児で大変な時にもお願いすればよかったと後悔しました。

 

他人を家に入れることに抵抗がありましたが、1度頼んでみると気さくで親切な方ばかりでした。ヘルパーさんが来てくれる日は逆に安心できる日にもなっていきました。

 

今思えばとそればかり言っていますが、体の不調はつらい上、病院の診察代、大量の薬代のために莫大なお金がかかりました。それを思えば早く家事代行をお願いしておけば良かったと思いました。体の回復も早くなったと思います。

 

1人で頑張らないで、時には人の手を借りる事も必要なことを覚えました。

 

《⇊家事代行サービスの詳細はこちら!》

 

スポンサーリンク

 

二次障害で苦しんだ日々まとめ

のんきだった私が、発達障害の二次障害で味覚を失うとは思いもしませんでした。恐ろしいことは、ある日突然やってくるものなのですね。

 

うつ状態になると普通のあたりまえの生活ができなくなります。本当に苦しみばかりの日々になります。当時のことは思い出すだけでも苦しくなるので振り返らないようにしています。

 

しかし、苦しい時は人の手を借りることを覚えました。時には無理せず素直に感情を出して生きていくことも大切なんだなと思います。

 

その後、味覚も戻り楽しい生活に戻ることができるようになりました!

 

最後までお付き合くださりありがとうございました^^

 

 

 


アスペルガー症候群ランキング

 

 

 

スポンサーリンク