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集団生活がとにかく苦手な発達障害(ADHD)の私は、幼稚園、小学校で先生と母親を困らせる行動や態度ばかりしていました。その態度は、幼稚園の頃から続いていた逃走です。

 

おとなしく、静かな子供だったのですが、嫌なことから逃げる時は衝動的な行動をしていました。衝動的な行動をするときは、何も考えてなく自然に行動に移していたのだと思います。

前回も書きましたが、とにかく集団生活に入れられると心が絞られる感覚になり、その場から逃げたくなってしまうのです。

 

集団行動苦手な3歳 発達障害の子が保育園幼稚園が嫌いだった感覚を理解して!は、こちらからです★

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発達障害(ADHD)の小学1年生が集団生活が苦手だった原因

・学校が遠く電車通学が苦痛

・暴れる子供がいる事

・大声で話す子供がいる事

・突然体当たりをしてくる子供がいる事

・突然、友達に話しかけられる事が苦手

・先生のオルガンに合わせて異常なテンションで歌を歌う事

・朝礼で集まることが苦手

 

当時、家の近所に小学校がなかったので、電車通学をしていた事も苦痛でなりませんでした。満員電車に乗ることは、人と接触し臭いも気になり呼吸困難になりそうになっていました。

 

特に記憶に残っていることは、朝の朝礼で校庭に立ち校長先生のつまらない長い話を聞くことでした。(つまらになんて失礼)

 

ある日、朝礼の時に、校長先生に困った行動をされました。小学1年生の私の逃走を止めようとした行動だったのだと思いますが、大変迷惑でした。

 

事件です!

 

発達障害の小学1年生が繰り返ししていた衝動的な行動

小学校の登校時には、近所のお姉さん達が私の手を引いてくれ登校していました。電車にも乗りかなりの距離を歩かなければ学校まで到着しません。お姉さんたちも、私が逃げるのをかなり気を付けてくれていたと思います。

 

電車の定期は持っていましたが、小学校から最寄り駅までは1年生にとってかなりの距離があり、ADHDの私は道に迷う特徴があるので1人で帰る事が難しかったのです。

 

そこで、学校から逃走する時は、学校の前にあるバス停からバスに乗り、逃げて自宅に帰っていました。お金など持っていないので、無銭乗車です(-_-;)

 

下車する時に、お金がないというと運転手さんが、「後でお母さんにお金を払ってもらってね。」と、言われ降ろしてくれていた時代でした。(昔は良かった違うか、、)

 

集団生活が苦手だったADHDの私は、逃げる事には悪知恵が働いていました。

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発達障害ADHD小学1年生屈辱の事件

半世紀生きてきて忘れられない屈辱的な事件が起きました。それは、ADHDの私が度々小学校から逃走を繰り返していたので、学校側も困り果てた末にやった事だと思います。

 

朝礼は、校庭で行いますよね?私の通っていた小学校の校庭は、なぜか石でできた長い滑り台を滑って校庭まで下りるのです。前回の幼稚園の生活で、遊具で遊ぶことが嫌いだったと書きましたが、滑り台を滑る事が恐怖でなりませんでした。

 

ある日の朝礼時間の事です。朝礼に出たくなかった私は、教室に残って泣いていました。そこへ校長先生が私の所へ来て、抱き上げて外に連れ出したのです。

 

「何なの?どこへ行くの?」と、不安になっていると、一緒に滑り台を滑ろうと言われ、校長先生の膝に抱きかかえられ、一気に滑り台を滑り下りたのです。

 

その時です。ギャー!と泣いていた私の目に入ったのは、朝礼開始直前だったので、校長先生に抱かれ滑り台を滑る姿を、全校生徒が私の事を見ていました。

 

嫌だ!皆が見ている!

 

小学1年生でも、恥じらいはあったのです^^

 

無事に校庭へたどり着いたのですが、もっと恥ずかしいことが起きました。校長先生が私の手をギュッと握り、朝礼台の上に一緒に上ったのです。もう逃げる事が出来ません。逃げようとすると、またギュッと手を握り放してくれないのです。

 

はい!朝礼台の上でお話をしている校長先生に手を握られたまま、朝礼が終わりました。全校生徒に注目され、恥ずかしいのと逃げることが出来ない屈辱の事件になりました。私の中では、事件なのです。この日以来、この事を友達からずっと言われ続けられ、からかわれる事になっていったからです。

 

発達障害の私が引きこもりにならなかったのは母の性格

保育園から小学1年生まで、母をはじめ周りの方に、かなり心配をかけていたと思います。

 

集団生活が苦手で、友達に話しかけられる事も嫌だった発達障害ADHDの私が、引きこもりにならなかったのは、母が明るく緩い性格だったおかげだと思います。

 

逃走をしても、酷く叱られることが1度もありませんでした。母は、いつも家の中で歌を歌ったり、バレエを踊っておどけてみたりしているような女性でした。一緒に踊ろう!なんて言って、無理やりバレエの基礎を教えてくれたりしていてくれたので、母といると笑ってばかりいました。

 

「なぜ出来ないの?早くやりなさい。」と、言う言葉もなかったです。

 

そのおかげで、大人になると発達障害の私でも、人と話すことが好きになりいつも笑っているね!なんて言われる性格になれたのだと思います。

 

こんな私を、無理させることもなく呑気に育ててくれた母に感謝しています。

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました^^

 

 

大人になれば逃走もしないよ!

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